上皮細胞増殖因子受容体の重畳性

〜似ているけど違う受容体たち〜



概要

ErbB1、ErbB2、ErbB3およびErbB4から構成されるErbBファミリー分子は細胞の増殖、生存を制御する受容体型チロシンキナーゼです(図1)。ErbBファミリー分子は傷口の修復および上皮組織の細胞密度の決定において中心的役割を果たします。しかし、4つのErbBファミリー分子は互いに構造や機能が似ているため、どれがどの程度それぞれの生命現象において寄与しているかは不明でした。そこで、本研究ではErbBファミリー遺伝子ノックアウト細胞株を構築し、傷口の修復および細胞密度制御におけるErbBファミリー分子の寄与を解析しました。結論として、傷口の修復に関わるERK活性化伝播においてはErbB1が主たる役割を果たすこと、高細胞密度の維持においてはErbB1とErbB2が重要な役割を果たすことが明らかになりました。本研究で得られた知見と細胞株リソースは細胞のがん化を含む様々な生命現象の解明に貢献すると考えられます。本研究成果は、2023年7月31日に国際学術誌「Journal of Cell Science」(DOI: 10.1242/jcs.261199)に掲載されました。


研究の背景

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体の傷が治る過程では上皮細胞が集団で傷口に向かって移動することが知られています。この細胞集団遊走時にはERK(分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ)の活性が先導細胞から後続細胞に波のように伝播し、移動方向の情報が伝達されます。当研究室ではERK活性伝播においてERKの上流の受容体であるErbBファミリーが重要な役割を果たすことを見出しました。ErbBファミリーは細胞表面に存在し、細胞から放出される増殖因子(GFs: Growth Factors)と結合することで細胞の増殖、分化、生存、遊走を促進するタンパク質です。しかし、ErbB1、ErbB2、ErbB3およびErbB4の4つの分子からなるErbBファミリーの内どれがERK活性伝播において最も重要かはわかっていませんでした。(図1)
また、ErbBファミリーは上皮組織の再生、細胞排除の阻害、バリア機能の維持によって 上皮組織の恒常性に寄与します。例えば、ErbB1/ERKの活性化によって発生時 における上皮細胞の除去が抑制されることがショウジョウバエのサナギを使った研究で明らかになりました。本研究で作製した4つのErbBファミリーを全てノックアウトしたMDCK細胞(Erbock: ErbB knock out)は飽和細胞密度が野生型の約半分となることがわかりました。そこで私たちはErbBファミリーノックアウト細胞株群を用いて、個々のErbBファミリーのERK活性伝播、細胞増殖および高細胞密度の維持における寄与を調べました。


研究の内容と成果

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本研究 ではイヌの腎臓由来のMDCK細胞を用いてErbBファミリーのノックアウト細胞株を作製し、ERK活性伝播を観察しました。ErbB1のノックアウトによってERK活性伝播は顕著に減衰しましたが、完全には阻害されませんでした(図2)。一方、4つのErbBファミリーを全てノックアウトしたMDCK細胞(Erbock: ErbB knock out)ではERK活性伝播がほぼ完全に消滅し、観察時間中に細胞が遊走した距離も著しく短くなりました。このことからERK活性伝播の媒介においてErbB1が主要な役割を果たし、ErbB2/3/4は補助的な役割を持つことが示唆されました。


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Erbock はErbBファミリーの機能を調べる上で有用なツールになると考え、次に、Erbockの特性を調べました。細胞周期の進行を可視化する蛍光プローブ、 tFucci(CA)5を用いた解析の結果、ErbockはG1期が野生型細胞より5時間長く増殖の遅い細胞であることが分かりました(図3)。また予想外にも、Erbockの増殖能を定量する過程でErbockでは飽和細胞密度が野生型細胞よりも低下することに気付きました。そこでErbBファミリーは飽和細胞密度においてどのように寄与するのか調べるために、細胞のアポトーシスを検出する蛍光プローブ、 SCAT3を用いて解析を行いました(図4)。その結果、Erbockでは高細胞密度において頻繁にアポトーシスが起こり一部の細胞が排除されることが分かりました。したがって、ErbBファミリーは高細胞密度における細胞生存に重要であることが示唆されました。また、ErbBファミリーの再発現によってErbB1、ErbB2が高細胞密度における細胞生存において重要であることが明らかになりました。


研究の意義

ErbB ファミリーは生体内で多くの機能を持つ重要な分子であると考えられてきましたが、ErbBファミリーは互いに似た機能を持つため個々の分子がどのような機能を持つかは明らかにされていませんでした。本研究では、近年注目されているCRISPR/Cas9の技術を用いて個々のErbBファミリーの機能を複数の現象において解析しました。特に、他のErbBファミリーとペアでしか機能しないと考えられてきたErbB2が単独で発現する状態において高細胞密度における細胞生存に寄与することが明らかになりました。ErbB2が関与する胚発生、細胞遊走、がん化においてもErbB2が単独で機能する可能性があり、今後の研究が期待されます。

今後の展開

本成果 により、細胞集団遊走、細胞増殖および細胞生存における個々のErbBファミリーの機能が明らかになりました。今後は、本研究で作製したErbBファミリーノックアウト細胞株を有効に活用し、生体内における恒常性維持機構や細胞のがん化などの生命現象におけるErbBファミリーの機能を解析していきたいと考えています。

用語解説

ERK: 全身の細胞に広く発現し、様々な細胞の増殖・分化・移動などに重要な機能を果たしているタンパク質。

蛍光プローブ: 蛍光を発するタンパク質を用いて設計される、細胞の状態や生体分子の活性を経時的観察できる研究ツール。

細胞周期: 1つの細胞がDNAの複製を経て核・細胞質の分裂を行い、2つの娘細胞を生み出すまでの過程。G1, S, G2, M期の4つの段階で構成される。

アポトーシス: 遺伝的にプログラムされた細胞を自殺させる仕組み。個体にとって危険、または不要な細胞の一部はこの仕組みによって排除される。。

研究プロジェクトについて

本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業(CREST)、国立研究開発法人科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業(Moonshot R&D)の支援を受け、実施しました。


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