講座・分野の歴史

植物生理学分野(生命科学研究科 統合生命科学専攻 分子代謝制御学分野)の沿革を以下にまとめた(文中の敬称は略しました)。


 当分野の前身は、応用植物学講座である。農学部は、大正12年(1923年)に京都帝国大学の7番目の学部として創設された。その際に設置された6つの学科のひとつ農林生物学科を構成する4番目の講座として、大正15年(1926年)に応用植物学講座(第四講座)が開設された。開設当初から長らく担当の教授がいない状態が続き、実験遺伝学講座の担当であった木原 均 教授らが兼任で担当した。


 昭和18年(1943年)8月になって、理学部植物学教室の講師であった今村駿一郎が助教授として着任し、同年12月、教授に昇進した。今村駿一郎 教授は、今日も多くの研究者に用いられている日本アサガオのムラサキ株(Ipomoea [Pharbitis] nil cv. Violet)を用いた花成生理学の研究により広く知られている。ムラサキ株は、もともとは木原教授が遺伝の研究に使っていた材料であるが、花成生理学の実験材料として今村門下が確立し、世界に広めることになる。
 今村教授には、花成生理学以外の重要な業績として、気孔の開閉が孔辺細胞へのカリウムイオンの出入りによるものであることの発見(1943年)がある。これは、戦争中にドイツ語で発表されたこともあり、残念ながらあまり注目されなかったという。今日、この事実が日本においてもあまり知られずにいることは残念である。これらのほか、郷里の鹿児島でカワゴケソウ科(Podostemaceae)の植物を発見し、同科が日本にも分布することを明らかにしたことも特筆すべきものであろう。
 終戦後の困難な時期にあって、今村教授の師である理学部の郡場 寛 教授、芦田譲治 教授、農学部の木原教授、今村教授らが学問の灯を絶やさぬように苦心されたさまは、
 木原 均(編)『生物学閑話 -郡場 寛博士との対談-』(第Ⅰ集〜第Ⅳ集)(廣川書店, 1962、1966, 1968, 1970年)
にうかがうことができる。物質的には、厳しい時代であったはずだが、郡場教授室に集った人々が闊達に学問を論じていることはとても印象深い。同時に、対談の貴重な記録を長期間に渡ってとられてきた今村教授をはじめとする郡場教授をとりまく人々の努力や、それを4冊の本にまとめることで後世に残して下さった木原教授に対して深い感謝の気持ちをおぼえる。同書を見ると、昭和23年2月16日の記録に、郡場教授が今村教授に、Garner & Allard (1920) の論文(日長による花成の調節の発見を最初に報じた論文。光周性という概念の発端となった)の別冊を渡し、ひとしきり花成について論じたことが見えるほか、フロリゲンも含めて、花成のことがたびたび話題に上っていたことがわかる。今村教授は、雑誌『科学』の1978年の対談の中で、郡場教授の示唆により1935年頃から花成の研究を始めたこと、戦争中の灯火管制・防空演習の中でも光周性花成の研究を続けたことなどを語っている。
 今村一門の花成生理学研究の一端は、日本植物生理学会から、今村教授の退官の年に出版された英文論文集
 Shun-ichiro Imamura (ed) "Physiology of Flowering in Pharbitis nil", Japanese Society of Plant Physiologists (c/o Institute of Applied Microbiology, University of Tokyo, Tokyo, Japan), 1967
にまとめられている。

今村駿一郎 今村駿一郎

今村一門の花成生理学研究の集大成である上掲書の扉頁と荒木の蔵書の見返しにある今村教授の署名


 昭和42年(1967年)3月に今村教授が退官したのち、同年4月、今村教授門下の瀧本 敦が教授となった。瀧本 敦 教授は、アサガオを用いた花成生理学を引き継ぎ、のちにはウキクサ類も用いてこれを発展させた。瀧本教授は、花成の謎解き、特にフロリゲンの探索にかける熱意と直面する困難とを、一般向けの著書によってもいきいきと紹介されている。ことに『花を咲かせるものはなにか 花成ホルモンを求めて』(1998年)は好著であり、多くの人に薦めたい本である。今村教授との出会いを含めて、瀧本教授の研究の足跡(日本における花成研究の足跡でもある)に触れることができる。
 瀧本教授は、日本植物学会、日本植物生理学会と同学会誌 Plant & Cell Physiology の発展にも大きな貢献をされ、日本植物学会と日本植物生理学会の名誉会員であるほか、日本植物生理学会功績賞を受賞されている。

瀧本敦 瀧本敦 瀧本敦

瀧本教授の3冊の著書


 平成3年(1991年)3月に瀧本教授が退官したのち、平成4年(1992年)9月に、理学研究科化学専攻の助教授であった泉井 桂が教授として着任した。理学部・理学研究科からの人的な交流は、開設後17年間に渡り兼任で担当された木原教授、初代の今村教授に続いてのものである。泉井 桂 教授の在任期間のなかばにあたる平成11年(1999年)に、新しい研究科として生命科学研究科が発足し、当分野は、大学院の所属は、農学研究科応用生物学専攻から生命科学研究科統合生命科学専攻に移ることになり、農学部は兼担となった。これに伴い、講座および分野名は、環境応答制御学講座 分子代謝制御学分野(学部における分野名は植物生理学分野)となり、現在に至っている。泉井教授は、C4光合成における炭酸固定、特に、ホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ(PEPC)の研究で優れた業績をあげた。 


 平成17年(2005年)3月に泉井教授が退官したのち、平成18年(2006年)5月に、理学研究科生物科学専攻の助教授であった荒木 崇が教授として着任し、現在に至っている。荒木の研究上の大きな関心のひとつは、花成を調節する分子機構である。初代・二代の教授であった今村、瀧本両教授が探し求めてきたフロリゲンの実体が、奇しくも、1999年に同定して以来、荒木が研究を続けてきたFLOWERING LOCUS TFT)遺伝子の産物(FT蛋白質)であることが、荒木の研究室を含む複数の研究室により、2005〜2008年にかけて明らかになったことは、不思議な巡り合わせといえようか。
 上述のように、現在、大学院教育では、生命科学研究科統合生命科学専攻に所属するが、学部教育においては、引き続き農学部に所属し、資源生物科学科の植物生理学分野を担当している。


    参考にした資料(本文中に記したものをのぞく)

  1. 京都大学農学部 『京都大学農学部70年史-』
    京都大学農学部, 1993年.
  2. 日本植物学会(編)『日本の植物学百年の歩み -日本植物学百年史-』
    日本植物学会, 1982年.
  3. 今村駿一郎・古谷雅樹・瀧本 敦 「アサガオの開花研究を始めたころ」
    科学 48(2), 83-90.
    , 1978年.
  4. 増田芳雄 『植物学史 19世紀における植物生理学の確立期を中心に』
    培風館, 1992年.
  5. 瀧本 敦 『花を咲かせるものは何か 花成ホルモンを求めて』 (中公新書1400)
    中央公論社, 1998年.