数理モデリングを用いたアルツハイマー病モデルマウスにおける記憶プロセスの異常の解析

  • 教授 今吉格
  • 助教 鈴木祐輔
2025/11/6
  • 脳機能発達再生制御学

概要

アルツハイマー病(Alzheimer’s disease, AD)は進行性の神経変性疾患であり、主要な認知症状のひとつである。ADの初期段階では、脳内におけるアミロイドβ(Aβ)プラークの蓄積が、明確な認知症状を伴わずに数年間進行することがある。近年、脳神経系の画像解析技術や生化学的検査の進歩により早期診断は改善されてきているが、神経病理学的な変化と認知症状の検出には、依然としてギャップが存在している。

AD初期段階における個体の行動変化を「内部モデル(internal model)」の観点から解析することにより、病理学的特徴によってどのような脳神経系の計算過程が損なわれ、認知症状が生じるのかを説明できる可能性がある。しかし、ADの進行に伴ってこの内部モデルの状態がどのように変化し、それがどのように認知症状に寄与するのかは、まだ十分に明らかにされていない。これらの過程を理解することは、認知症の発症前にAD関連の変化を特定し、より精密な評価法を開発して早期介入を可能にする手がかりとなると期待される。

Gershmanら(2017)は、パブロフ型恐怖条件づけにおける記憶修飾過程の説明に、潜在原因モデル(latent cause model)が有効であることを提案している。このモデルは、新しい観察が既存の記憶に分類されるのか、それとも新たな記憶として形成されるのかを推定する枠組みを提供するものである。ADの初期症状として記憶障害が顕著であることから、このような内部状態(internal state)を推定することは、記憶関連症状の基盤となる認知的変化を理解する上で有用であると考えられる。

我々は、Aβプラークが脳内に蓄積している初期段階から、この内部状態がすでに変化していると仮定した。そこで、AppNL-G-Fノックインマウス(早期ADモデルマウス)を用い、潜在原因モデルを用いてその内部状態を推定した。AppNL-G-Fおよび年齢を一致させた対照マウスに対し、恐怖条件づけ、消去、再呈示から構成される記憶修飾学習課題を行った。

AppNL-G-Fマウスは、恐怖連合記憶およびその消去記憶を形成することができたが、予告なしの電気ショック(unsignaled shock)の再呈示後の恐怖記憶の復元の程度は低下していた。数理シミュレーションによる解析の結果、AppNL-G-Fマウスの内部状態は、異なる結果を伴う類似刺激に対しては過剰な一般化(overgeneralization)に偏り、同じ結果を伴う非類似刺激に対しては過剰な細分化(overdifferentiation)に偏る傾向があることが示唆された。これらの変化した内部状態は、記憶修飾過程における誤分類(misclassification)を反映していると考えられた。

動物個体の内部認知状態を解析することは、ADの病理が動物行動をどのように変化させるかを理解するための新しいアプローチを提供する。このようなアプローチは、早期検出および個別化された認知評価を支援することにより、プレシジョン・メディシンの発展に寄与する可能性がある。これにより、AD発症リスクのある個人や医療専門家に恩恵をもたらすと期待される。ただし、内的状態・病理的状態・行動状態の関係性は、多角的な視点から、今後も慎重に解釈する必要があると考えられる。特に、Aβプラーク蓄積によって影響を受ける特定の神経メカニズムと内部モデルを結びつけるためには、さらなる研究の継続と発展が必要である。

本研究成果は、2025年11月4日に、国際学術誌「eLife」にオンライン掲載されました。

 

論文タイトルと著者

  • タイトル

    Misclassification in memory modification in AppNL-G-F knock-in mouse model of Alzheimer’s disease
    (アルツハイマー病モデルAppNL-G-Fノックインマウスにおける記憶修正学習の誤分類)

     

  • 著者

    Mei-Lun Huang, Yusuke Suzuki, Hiroki Sasaguri, Takashi Saito, Takaomi C Saido, Itaru Imayoshi

  • 掲載誌

    eLife

研究者情報

研究者
所属研究室 脳機能発達再生制御学
研究室サイト https://brainnetworks.jimdofree.com/